戦後の高度経済成長により日本が経済大国となり、国際的な役割が高まるにつれ、等身大の日本の姿を海外に伝え、国際相互理解を図るとともに、文化の面で世界に貢献する専門機関の必要性を唱える声が、国内外から上がっていました。このような時代背景の下、1972年10月2日、外務省所管の特殊法人として国際交流基金が発足します。前身の財団法人国際文化振興会から海外5都市の拠点を継承し、組織の基盤づくりを行うとともに、日本を取り巻く国際情勢の変化に応じながら、文化芸術交流、海外日本語教育、日本研究・国際対話の各分野で今日に連なる事業を開始します。
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冬季オリンピック札幌大会
沖縄返還協定発効
⽇中共同声明
ベトナム和平協定成立
円の変動為替相場制移行
第1次石油ショック
田中首相東南アジア歴訪、ジャカルタ・バンコク等で反日デモ
沖縄国際海洋博覧会
第1回先進国首脳会議
福⽥ドクトリン(東南アジア外交3原則)、
ASEAN 文化協力事業に50億円の資金提供を表明
新東京国際空港(成田)開港
日中平和友好条約調印
第2次石油ショック
ソ連、アフガニスタンに軍事侵攻
経済成長を背景として、世界中で日本への関心が高まる中、1981~82年、イギリスで大型日本フェスティバルが開かれます。国際交流基金はその中心的な企画として「江戸大美術展」を開催、52万人を動員する成功を収め、以後、各国の芸術祭や文化機関と協力し、日本文化の紹介を強化します。他方、設立10周年を迎えた1982年には、国内で6件の記念事業を実施。外国文化の日本への紹介を本格化させます。また、日中平和友好条約の締結を受け、1980年、在中国日本語研修センター(現・北京日本学研究センター)を開設し、今日まで高いレベルの日本研究・日本語教育を行っています。この間、世界の日本語学習者数は順調に伸び、1984年に日本語能力試験を海外19都市で初めて実施。1989年には海外日本語教師の研修施設として日本語国際センターが開設されます。
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イラン=イラク戦争
日本の自動車生産台数、世界一に
日本の政府開発援助(ODA)世界最大規模に
マハティール・マレーシア首相が東方政策
(ルックイースト)を提唱
中曽根首相ASEAN 諸国歴訪で留学生10万人受入れ構想発表
国際科学技術万国博覧会(つくば万博)
第1回東京国際映画祭
プラザ合意で日本経済の国際化急進展
男女雇用機会均等法施行
JETプログラム(言語指導等を行う外国青年招致事業)開始
竹下首相ロンドン・スピーチ、「国際協力構想」
3本柱の一つに国際文化交流
昭和天皇崩御。新元号に「平成」
ベルリンの壁崩壊
1990年、日本へのアジア文化の紹介を行うアセアン文化センターが誕生。1995年にアジアセンターに発展改組され、アジア諸国との双方向交流を推進します。また、東西冷戦の終結と日米貿易摩擦の激化を背景に、日米同盟の強化を図る観点から、1991年、国際交流基金の中に日米センターが開設されます。以後、従来の対米事業に加え、知的交流と市民交流を通じて、両国の懸け橋となる人材を多数輩出するとともに、世界が直面する課題に対する日米共同の取り組みを一貫して支援しています。1997年には日仏・官民協働により、最大規模の海外拠点としてパリ日本文化会館が開館。また同年、各国の外交官、公務員、研究者など、さまざまな日本語学習者向けの研修施設として関西国際センターも開設されます。
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外国人登録者数100万人突破、海外渡航者数年間1000万人突破
東西ドイツ統一
バブル経済崩壊
湾岸戦争
ソ連崩壊
地球サミット
国連平和維持活動(PKO)協力法成立
初の国際規模での東京国際ブックフェア
ヨーロッパ連合(EU)発足
関西国際空港開港
自治体の姉妹都市提携1000件突破
阪神・淡路大震災
国連気候変動枠組条約第3回会議(COP3)が京都で開催
冬季オリンピック長野大会
韓国、日本大衆文化の段階的な開放措置を開始
グローバル化が進展し、世界における日本文化の存在感が高まる中、日本でも本格的な国際美術展の開催を望む声が上がります。国際交流基金は、長年にわたるヴェネチア・ビエンナーレへの参加経験に基づき、2001年、第1回横浜トリエンナーレの立ち上げに参画し、国内外から35万人を動員する成功を収めます。同年、米同時多発テロ事件が発生、2003年にはイラク戦争が始まる中、中東地域との交流を強化するとともに、2005年に米南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの被害などを契機として「平和構築・災害復興と文化」という新たな課題にも取り組みます。2003年10月には特殊法人から独立行政法人へと移行。また、2006年には日中間の青少年交流を促進する日中交流センターが設置されます。2008年にはインドネシア、フィリピンとの経済連携協定の発効に伴い、看護師・介護福祉士候補者向けの日本語研修プログラムも始まります。
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九州・沖縄サミット開催
議題に「文化の多様性の尊重」
アメリカ同時多発テロ事件
サッカーワールドカップ日韓共同開催
イラク戦争
新型肺炎(SARS)流行
イラクへ自衛隊派遣
スマトラ沖地震
愛・地球博(愛知万博)
京都議定書発効
海外在留邦人100万人突破
日本在住の外国人登録者数200万人突破
四川大地震
洞爺湖サミット
世界的な金融危機
インドネシア・フィリピンとの経済連携協定(EPA)発効、
看護師・介護福祉士候補者受入れへ
東日本大震災を受け、文化交流を通じた復興支援の取り組みが強化されます。2014年には、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて「文化のWA(和・環・輪)プロジェクト」が始動。新たなアジアセンターが設置され、東南アジアを中心とする地域との双方向交流の拡大・深化を図ります。2018年には日仏交流160周年を記念し、国際交流基金を事務局として、海外で史上最大規模の日本文化の祭典「ジャポニスム2018」をパリを中心に開催。会期中353万人を超える来場者に日本文化の幅広い魅力を届けました。同年、世界の日本語学習者数は385万人に達します。国際交流基金は2010年に「JF 日本語教育スタンダード」を発表し、学習者のコミュニケーション能力を高めるための日本語教育の普及を加速するとともに、2019年には特定技能制度での来日希望者向けの日本語基礎テスト(JFT-Basic)も開始します。
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中東諸国で民主化運動「アラブの春」
東日本大震災
経済連携協定(EPA)に基づくインドネシア・
フィリピン人介護福祉士候補、
初の国家試験で36人合格
安倍首相、東南アジア諸国歴訪、
「対ASEAN外交5原則」を発表
2020年夏季オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定
気候変動枠組条約第21回会議(COP21)でパリ協定採択
熊本地震
伊勢志摩サミット
新天皇陛下御即位、「令和」に改元
新たな在留資格「特定技能」創設
G20大阪サミット
2020年2月以降、世界中に広がった新型コロナウイルス感染症は文化交流にも深刻な影響をもたらしています。国際交流基金は日本と世界の人々の交流の回路を閉ざさぬよう、オンライン事業などの取り組みを活発化させるとともに、より効果的・効率的に活動を展開できるよう、2022年4月、組織改編を行いました。50年前の設立当初、世界5都市でスタートした海外事務所ネットワークは、多くの人々に支えられ、24か国25都市へと拡大しました。
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新型コロナウイルス感染症の世界的流行拡大
東日本大震災10周年
東京 2020 オリンピック・パラリンピック競技大会
ロシアによるウクライナ侵攻
沖縄復帰50周年