2022.10.12

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地域の伝統・文化を通じた「心の復興」:震災を乗り越えて

「三陸国際芸術祭2019」で披露された国際共同制作芸能「シシの系譜/その先に」。「シシの面」という共通項をもつ日本とバリの郷土芸能が共演しました。撮影:井田裕基

大規模自然災害からの復興の過程においては、被災者の復興へのあゆみを支えることや、コミュニティの再建といった観点も、重要な意味合いを持ちます。国際交流基金は、災害や紛争が起きた地域で、伝統・文化交流を通じた「心の復興」に向きあってきました。

2011年3月11日に発生し、東北地方に甚大な被害をもたらした東日本大震災。国際交流基金(JF)では、震災翌年から多岐にわたる復興支援事業を実施しました。ここでは、被災地の文化をよりどころとして、国際文化交流事業を通じて地元の人たちが立ち上がっていった過程で、JFがどのように関わってきたかをお伝えします。

震災の発生以降、地震や津波の被害の様子は、世界中に発信されました。本来、東北地方には豊かな自然や文化があるにもかかわらず、悲惨なイメージばかりが海外の人々の「東北」の記憶として定着するのはとても残念なことです。もっとポジティブな東北の魅力をアピールしていけたら──というのはJFだけでなく当時多くの日本人が抱いていた思いではないでしょうか。国際文化交流機関ならではの「文化」と「交流」という2つのキーワードをもとに何ができるか、JFでは議論を重ねていきました。

2012年、国連総会議場でのコンサートでは、湧水神楽(わくみずかぐら)と鬼太鼓座(おんでこざ)&Musiciansが力強い演奏を披露しました。広い会場は熱気に包まれ、終演後もスタンディングオベーションがやまず、大盛況となりました。撮影:Lee Wexler

JFはまず2012年3月からの約1か月間、総合文化事業「震災を乗り越えて―日本から世界へ―」を企画し、東北や復興再生をテーマにした舞台公演や展覧会、講演会、映画・ドキュメンタリー上映会などのプログラムを、アメリカ、フランス、中国などで実施し、世界中から被災地に寄せられた支援に対する感謝の気持ちを届けました。舞台公演では、東北に伝わる神楽に、和太鼓をはじめジャンルを超えたミュージシャンが加わって作り上げた「東北」を伝えるステージを上演。開催地の1つとなったニューヨークの国連総会の会議場では、当時の潘基文事務総長もこの舞台を鑑賞し、国際社会が東北と共にあるという力強いメッセージを発信しました。

日本と海外、同じ被災経験をもつ青少年の交流事業

災害や紛争が起きた後、その地域の伝統や文化の復興に協力する活動は、以前からJFが取り組んできたことでした。

2005年8月に発生した大型ハリケーン・カトリーナの被害に遭ったアメリカ・ニューオリンズには、翌年に阪神・淡路大震災からの復興を担った専門家らを派遣。経験の共有と語り継ぎを行う対話事業を継続的に実施しました。こうした経験の積み重ねが、東日本大震災の復興支援事業において大いに役立ったのです。

2012年4月からの1年間は、「震災を乗り越えて―世界とつながる―」をテーマに、新たに10件の事業を実施。なかでも、同じ被災経験をもつ日本と海外の青少年の交流事業は、参加した若者たちの思いが見事に重なるものでした。

その1つが「宮城―ニューオリンズ青少年ジャズ交流」です。東日本大震災の1か月後、津波で楽器を流された宮城県気仙沼市のジュニアジャズオーケストラ「スウィング・ドルフィンズ」に、米ニューオリンズから新しい楽器が贈られました。同地はジャズ発祥の地であり、上述の通り2005年にハリケーンによる被災経験もあります。そのつながりをもとに、2012年10月、ニューオリンズの高校生を中心とするジャズバンドが宮城の被災地3か所を訪れ、ジャズで人々を応援。地元のジュニア・ジャズバンドとも共演しました。さらに翌年、今度は「スウィング・ドルフィンズ」のメンバーがニューオリンズを訪問し、現地の仲間と再会して演奏を披露。互いを思う心がハーモニーを生み出しました。

また、「南三陸―チリ 青少年音楽・詩作交流」は、詩と物語がつなぐ交流でした。津波の被害に遭った宮城県南三陸町の高校生と、2010年2月に発生したチリ大地震の被災地であるチリ中部のコンスティトゥシオンの高校生が、両国でワークショップを行い、自分たちの被災経験から作った詩や物語を交換したのです。海を越えて、2つの地域の青少年が対話を重ねました。

東北・三陸地域とアジアを芸能でつなぐプロジェクト

さらに、2014年に新設されたJFアジアセンターでは、東北・三陸地域とアジアの地域との継続的な文化交流が実施されました。2015年に始まった「Sanriku-Asian Network Project(サンプロ)」もその1つ。東南アジアの芸能を三陸に招へいし、また三陸からも郷土芸能を東南アジアに派遣する交流事業でした。

2018年、岩手県と宮城県の鹿踊団体から選抜された7名の青少年が、インドネシアのバリ島を訪問。約1週間にわたり、バリ舞踊やガムランの団体と交流しました。写真提供:小野寺翔

南三陸町在住で、旧仙台藩領に伝わる「行山流水戸辺鹿子躍(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)」の継承者である小野寺翔さんは、サンプロの一環で、2018年にインドネシアのバリ島を訪問しました。

当時専門学校生だった小野寺さんはその時の思い出をこう語ります。「宮城県と岩手県の高校の芸能部に所属する高校生たちと一緒に、南三陸町に伝わる鹿踊を披露しました。私が鹿踊を始めたのは小学5年生の時ですが、300年以上前に発祥し、ずっと地元の中だけで続けられてきた踊りが、まさか国を出て異国の人たちの目に触れることがあるなんて、信じられない思いでした。バリの伝統的な踊りも見せていただき、踊り手さんと話すうちに、新たな気づきがありました。それは、私たちの鹿踊とバリの伝統舞踊は、使う楽器や踊りのテンポなどは違うけれど、土地に宿る悪いものを追い払い、人が幸せに暮らしていけるように祈りを込めて踊る、という目的は同じだということ。三陸とバリは遠く離れていて、文化圏も全く違うのに、地元の踊りに共通性がある不思議……それは、交流しなければ気づかなかったことでした」

バリ島訪問事業に参加した小野寺翔さん(右端)。現地ではバリ島の郷土芸能を教わる機会もありました。異なる芸能を体験することで、自らが担う鹿踊についての理解も深まったといいます。写真提供:小野寺翔

交流事業を経験して、鹿踊に対する新たな思いが生まれたという小野寺さん。「震災にも負けず300年以上続いている鹿踊ですが、発祥などいくつかの点はいまだ謎のままです。それらの謎について、いろいろな地域と交流を続けながら、少しずつでも紐解いていきたい。そして、これから先も鹿踊が続いていくように、子どもたちに興味を持ってもらえるような発信をしていきたいと思っています」

震災を契機とする日本とアジアの交流が、日本の郷土芸能の新たな未来を描く一歩につながっていく──人と人とが思いあい、触れあうことで生まれた発見を、JFはこれからも多くの人と共有していきます。

 

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