2023.02.13

文化

「キュレーションの越境」とは?
美術展を国際共同制作することの意義

2002年に開催された「アンダー・コンストラクション」総合展の展示風景(東京オペラシティ アートギャラリー)。アルフレド&イサベル・アキリサン《居住プロジェクト:拾い物》 漂流物、竹、落ち葉、ビデオ 2002年 photo:KIOKU Keizo

展覧会の開催は、アーティストやキュレーター間の相互理解と信頼関係を深める過程にも大きな意義があります。美術分野の国際共同制作とは何か、国際交流基金主催のアジアの現代美術展を振り返ります。

日本で“アジア美術ブーム”の先駆けとなった展覧会があります。1992年に国際交流基金(JF)が国内4都市の美術館等と共催した「美術前線北上中」展です。「私たちの西洋美術寄りの美術観と固定したアジア美術観に、新しい視点を与える」をテーマに、日本で初めて東南アジアの現代美術を本格的に紹介する展覧会でした。

同展のキュレーターの1人で、福岡市美術館の学芸員だった後小路雅弘氏は、2018年発行のアジア近代美術研究会会報でこう述懐しています。「『美術前線北上中』展の調査で、国際交流基金と仕事をしたことで、また中村英樹さんやたにあらたさんと調査をしたことで、調査の仕方が方法論的に深まってきたと思います。(中略)そして世の中が、というより世界が、非欧米の美術、あるいは芸術文化に目を向ける時代がやってきていました」

それまで、日本におけるアジア美術の紹介は、伝統的側面に焦点をあてたものが大半でした。急速な経済成長を背景に、東南アジアのアーティストがどのような問題意識を持ち、どのような表現をしているのか、同時代のアジアを知るための展覧会として企画されたのが本展でした。ASEAN加盟全6か国(当時)から20代~40代の若手作家17名の新作を紹介する大規模なもので、やがてアジア美術の専門家として活躍する人々に大きな影響を与えただけでなく、準備過程で培われた美術関係者間の交流や互いのアートシーンへの関心はその後、日本とアジアにまたがる数々の美術プロジェクトにつながっていきました。

「美術前線北上中:東南アジアのニューアート」東京展のポスター。「私たちの西洋美術寄りの美術観と固定したアジア美術観に新しい視点を与える」との意図で企画され、東京、福岡、広島、大阪を巡回しました。
デザイン:美術出版デザインセンター

「美術前線北上中」展から3年後、「アジアにとって近代とは何か」をテーマに開催されたのが「アジアのモダニズム」展です。JFと東南アジア各国の主要美術館が共催し、東京を皮切りにフィリピン、タイ、インドネシアを巡回しました。歴史的・文化的背景の異なる3か国を取り上げ、アジア各地におけるモダニズム受容の歴史を近現代の美術作品を通じて考察し、東南アジアの美術史を概観する意欲的な展覧会でした。3名の日本人キュレーターが1か国ずつを担当し、各国のキュレーターや地域研究者が助言を行うという分野横断的なキュレーションは本展での新しい試みであり、美術の国際共同制作の可能性を示すものでした。

「アジアとは何か」という視点

2000年代に入ると、アジアの現代美術を担う新しい世代では「アジアとは何か」が問われ始めていました。この点をテーマに2000年から2003年にかけて、JFが企画した美術分野での国際共同制作事業が「アンダー・コンストラクション―アジア美術の新世代」(以下、「アンダー・コンストラクション」)です。アジア7か国の若手キュレーターが参加、各国でローカル展を開催した後、東京で総合展としてまとめ上げられました。

「美術前線北上中」や「アジアのモダニズム」展などを経て、日本でのアジア現代美術への関心は着実に高まっていましたが、アジアの近現代美術の、美術史上での位置づけや言語化の検証は、国際的にも発展途上でした。美術関係者の個々のつながりはあっても情報共有や協働の機会は不足し、美術環境も一様ではなく、同時代のアジアの才能が有機的に結ばれているとはいいがたいのが実情でした。「アンダー・コンストラクション」では、インド、インドネシア、韓国、タイ、中国、日本、フィリピンから当時20代~30代のキュレーター9名を迎え、展覧会開催に至るまで現地調査や議論を積み重ね、それぞれがテーマを掘り下げる過程自体が重要な意味を持ちました。

参加キュレーターの1人、ジャパン・ソサエティ(ニューヨーク)の前ギャラリー・ディレクターで、当時はインディペンデント・キュレーターだった神谷幸江氏はこう振り返ります。「当時、アジアの美術作家やキュレーターが互いの国の状況を知る機会は少なく、『アンダー・コンストラクション』のプロセスは類を見ない実践と交流の場でした。準備の過程で議論を重ね、互いの文化的背景が見えてくるとJFは私たちの好奇心を後押しし、各国のアートシーンの情報やリサーチの機会を提供してくれました。現地調査で実際にアトリエやアートスペースを共同キュレーターたちのリードにより訪れて、作家がどのような状況の下で創作活動を行っているのかを理解し、活発なアートシーンを知りました」

さらに神谷氏は、こうも語ります。「協働作業を通じて自己の視点だけでは叶わなかった多様な思考との論議や交渉の成果に、大きな手ごたえを感じました。躍動するアジアの文化は世界的な注目を集め、アジア内では歴史認識の再検討や国際的発信を模索するダイナミックな動きがありました。プロジェクト名の『アンダー・コンストラクション(工事中、建設中の意)』には、進行形である、アジア現代美術のただ中にいるという私たちの意識が込められていました」

インドネシア・バンドゥンで、「アンダー・コンストラクション」のローカル展が開催された際のポスター。展覧会の題名は「ドリーム・プロジェクト」でした。

同じく参加キュレーターのフィリピン大学美術学部のパトリック・D・フローレス教授は、このように振り返っています。「このプロジェクトは、時間、注意深さ、忍耐力が必要なプロセスに投資するという意味で重要でした。また、アイデアやプロジェクトの掘り下げ、様々な形の相互作用の試行錯誤、現地調査でいろいろな場所を訪れる際に参加者に独立性を与えるという点で、非常に寛大なものでした。一方、私のキャリアの向上についても、本展を抜きに語ることはできません。キュレーターという仕事の多彩さや段階を示してくれ、他のキュレーターとの協働を可能にし、大規模な展覧会の企画を任せてくれたからです。当時は主に美術史や批評畑にいた私に、本展はキュレーションという仕事を真剣に考える機会をくれたのです」

参加キュレーターたちのその後について、神谷氏は「皆、今ではその国の文化発信を担う存在になって国際的に活躍しています。当時は方法を手探りする状態でしたが、本展を通じた経験が与えてくれた成果は確実に出ています」と言及します。神谷氏自身は広島市現代美術館学芸担当課長を経てジャパン・ソサエティ ギャラリー・ディレクターを務め、日米間の美術交流を精力的に推進。一方、フローレス教授は、今やフィリピンを代表する現代美術史家として、2019年のシンガポール・ビエンナーレではアーティスティック・ディレクターを、また2022年のヴェネチア・ビエンナーレでは台湾館のキュレーターを務めるなど国際的に活躍しています。

「アンダー・コンストラクション」総合展の出品作より、タッサナイ・セータセーリー《サンタが街にやってくる》 インスタレーション、ワークショップ 2002年 photo:KIOKU Keizo

対話の継続や次世代育成の重要性

「アンダー・コンストラクション」で国境を越えたキュレーションは、組織間の国際共同キュレーションへと発展しました。2005年、JFが企画した「アジアのキュビスム─境界なき対話」展では、東京国立近代美術館、韓国国立現代美術館、シンガポール美術館が共催者として参加、国立の美術組織間の共同プロジェクトとして行われ、3館での展示の後、パリ日本文化会館にも巡回しました。

アジアの美術界が継続的に発展していくためには、美術人同士の対話や次世代育成、企画性の高い展覧会が同時に行われることが必要です。JFは2000年代以降も、国際シンポジウムの開催、アジア域内の美術交流の推進、次世代キュレーターの育成、アジア現代美術の展覧会を各地で行ってきました。これらが大きく結実したのが、2017年の「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」です。国立新美術館、森美術館、JFが共催し86組のアーティスト・グループが参加する過去最大規模の東南アジア現代美術展が東京で実現しました。企画開始は2014年、開催までに参加したキュレーターは14名、ASEAN10か国・16都市を現地調査し、訪れたアートスペース、美術館、博物館などは400件以上に上ります。来場者数は合計で35万人を超え、高い注目を集めました。

JFが長い年月をかけて手がけてきたアジアの現代美術交流事業は今、世界中で大きく花開いています。

フェリックス・バコロール 《荒れそうな空模様》 2009/2017年 風鈴 サイズ可変
展示風景:「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」森美術館(東京)2017年
撮影:木奥惠三 画像提供:森美術館、東京

 

 

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