2022.12.15

言語

日本語を学び、人生が変わった——
日本語学習で手にした未来へのパスポート

今日、世界中に日本語を学ぶ人々がいます。その学習動機は社会状況の変化に伴って移り変わり、多様化しています。どのような人々が、何のために日本語を学んでいるのでしょうか。

日本語を学ぶ人は、世界にどれくらいいるのでしょう。世界の日本語教育の最新状況を把握するため、国際交流基金(JF)が3年おきに実施している「海外日本語教育機関調査」によれば、2021年度時点における全世界の日本語学習者は379万4714人にのぼります。1979年の調査では、学習者は127167人。約40年の間に、学習者の数は約30倍に増えたことがわかります。

第二次世界大戦後、日本が経済復興を果たし海外との交流が盛んになるまでは、高等教育機関で日本研究を専門とする人たちなど、限られた人々が日本語を学んでいた時期が続きました。やがて、日本の経済成長に伴い、日本語学習の目的も変容していきます。1980年代以降、日本企業の海外進出が進んだことや、日本との経済的な結びつきが深くなることで、海外のビジネスマンや日本関係の仕事を得ようとする人々が日本語を学ぶようになりました。また、日本で海外旅行ブームが起こると、主に東南アジアや中東の観光地で日本語ガイドの需要が出てきました。さらに、一部の国々では日本の近代化を模範とする国家政策等を背景に、日本社会や日本語学習への関心が高まり、日本で学ぶ留学生も徐々に増えました。日本の国際化が進むにつれて、日本人との意思疎通や相互理解の手段として日本語を学ぶ外国人が増えていったのです。

その後、ビジネスなどの実利面からだけでなく、日本や日本語そのものへの関心も高まり、学習動機も多様化していきます。特に、今世紀に入ってからは、インターネットの普及により日本文化情報が入手しやすくなったことも背景に、日本のマンガやアニメなどのポップカルチャーへの関心が、学習動機の上位を占めるようになりました。また近年では、日本で働くために日本語を学ぼうとする外国人労働者も増えつつあります。

このように、学習者が増加した背景には様々な要因があります。それに呼応して、JFは草創期の1970年代から海外での日本語教育普及活動に取り組んできました。たとえば、世界各国のJF事務所や中核的な日本語教育機関、教育省等に日本語教育の専門家を派遣し、現地で活躍する教師の研修や教材・カリキュラムの制作支援を実施したり、世界中の日本語教育機関のネットワークづくりをしたりといった活動です。こうした長年にわたる地道な日本語教育の基盤づくりが実を結び、多くの国の高等教育機関で日本語教育が行われるようになり、やがて中等教育機関の外国語教育課程にも日本語が導入されていきました。

高校時代にたまたま選んだ日本語に導かれて

日本語学習者が41万人を超えるオーストラリアでは、JFシドニー日本文化センターが日本から派遣された日本語教育専門家の拠点として、教材開発や教師研修などの日本語教育振興を担っています。

1970年代に、アジア重視の外交と多文化主義へ転換したオーストラリア政府。それが外国語教育に関する政策にも反映され、主に中等教育段階における急速な日本語学習者数の伸びにつながっていきました。1987年には日本語が中等教育における外国語科目(LOTE:Languages Other Than English)の優先言語の1つに選ばれ、今日では小学校でも日本語が学ばれています。

オーストラリア政府観光局日本局長のデレック・ベインズさんが日本語と出会ったのも学校の授業でした。ベインズさんが高校(現地の後期中等教育過程)に進学したのは1970年代後半。ベインズさんが育ったクイーンズランド州では、オーストラリア国内でも早期の1967年から、公立学校で日本語が必修外国語の一つとして導入されていました。当時のオーストラリアには第二次世界大戦の記憶も残っていましたが、ベインズさんのお父さんは、日本とオーストラリアの間で貿易が活発化している状況を見て、息子が日本語を学ぶことを後押ししたそうです。校長先生からの勧めもあり、ベインズさんは日本語コースを選択します。「当時、日本に関する情報は限られており、未知の国の言葉でしたが、学び始めると、いろいろな発見がありました。日本語には、『生きがい』『わびさび』など、英語では表現しきれない言葉があることに気づいたのもそのひとつです。それが文化の違いだとわかるようになったことは、12歳の少年にとっては大きなことでした」と、当時の気持ちを振り返ります。

高校卒業後には交換留学生として日本に3か月滞在。初めて外国の地を踏み、東京のご家庭にホームステイしながら日本の高校に通いました。それまで5年間日本語を勉強していましたが、初めての日本滞在ではコミュニケーションをとることが難しかったそうです。それでもこの時の訪日で「人生が変わるのを感じました」というベインズさん。オーストラリアに戻って進学した大学では日本を含むアジアの歴史や経済を学び、ワーキングホリデーで再び来日した際は英語講師や貿易会社の仕事を経験したといいます。そして、カンタス航空に20年ほど勤めた後、2020年にオーストラリア政府観光局へ入局し、現在は日本局長として東京で働いています。

オーストラリア政府観光局で、観光促進戦略を担うデレック・ベインズさん。学生時代の日本のホストファミリーとは、今でも交流を続けているといいます。日本の食文化やおもてなし、温泉、歴史が好きで、小説家では瀬戸内寂聴がお気に入りだそうです。

新聞を読むこと、会議で話すこと、同僚の悩みを聞くこと——「毎日の生活には、いろいろな日本語スキルが必要です」とベインズさん。日本語力を高めるため、JFシドニー日本文化センターが実施する日本語講座を10年以上受講してきたそうです。「少人数のクラスで、先生も親切。文学や社会学、歴史、時事問題など、取り上げる内容も幅広いです。新型コロナウイルスの流行で授業がオンラインになったので、来日してからも同じ講座で勉強を続けています」

人生の次の扉を開く、日本語能力試験

ベインズさんが自らの日本語力の指標としているのが、日本語能力試験(JLPT)。日本語を母語としない人を対象に、日本語の能力を測定し、認定することを目的とした試験で、海外での実施をJFが担っています。1984年に日本国内2か所、海外14か国・地域19都市で初めて実施されました。初年の受験者数は日本国内を含め全世界で7000人ほどでしたが、2019年には受験者数が国内外で1168535人に上り、世界最大規模の日本語の試験となっています。

JLPTでは、日本語の語彙や文法の知識だけでなく、その知識を実際のコミュニケーションで活用する能力を重視し、「言語知識」「読解」「聴解」の3つの試験で日本語能力を測定しています。進級、卒業、就職、昇進、転職などの基準としても採用されており、多くの日本語学習者にとっては人生の節目とも重なる試験です。

「最初にN2を受験して合格したのですが、次に受けたN1は落ちてしまいました。しかし試験を受けたことで、得意な点と苦手な点がわかりました。最近友人と食事をしていてJLPTの話になりました。N1を受けたのは4年ほど前なので、諦めずにまた挑戦したいと話をしたところです」と、ベインズさんは意気込みます。「日本人と仲良くなりたいと思うなら、日本語を学ぶべきです。言葉を学ぶと文化への理解も深まります。上達するには、失敗を恐れず、とにかく練習を重ねることです」

ニューデリー日本文化センターでの日本語講座の様子。

ベインズさんは、これからも日本の文化をより理解し、日本人との交流も深めたいと考えているそうです。「日本語を学び続けたことによって、日本のいろいろな面白さを発見できましたし、日本での生活や職場でのコミュニケーションにもとても役立っています。日本語が話せなければ、この仕事はうまくできないなと思います」。また、今後の日豪関係について、こう述べます。「コロナ禍で落ち込んでいる日本からオーストラリアへの旅行者数を、まずは元の水準に戻したいです。第二次世界大戦の記憶が残る世代の方々も、若い世代と一緒に旅行して、これからの日豪の友好関係に思いを馳せていただければうれしいです」

日本語を学んだことをきっかけに、日本に親しみ、国際的に活躍する人々がいます。これからも日本語学習者のみなさんの努力に寄り添い、その羽ばたきを支えていけるよう、JFは世界各地の日本語教育の基盤づくりに取り組んでいきます。

 

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