2022.10.12

対話

「心連心」──若者世代が心と心をつなぎ、
広がりつづける日中友好の輪

日本と中国の青少年がともに過ごすことで、互いを理解し、友情をはぐくむ。国際交流基金では、長期招へいや協働イベントなどさまざまな交流プログラムを実施し、未来の日中関係を担う若者たちの対話を促進しています。

国際交流基金(JF)は、2006年に、日本と中国の次世代を担う若者たちのより深い交流を目的に、「日中21世紀交流事業」を開始し、担当部署として「日中交流センター」を新設しました(2022年4月に「国際対話部」に改編)。前年の2005年は、日中関係が急速に冷え込み、中国各地で大規模な反日デモが巻き起こった年。しかし一方で、多くの中国の若者たちは日本の漫画やアニメ、テレビドラマやファッションなどのポップカルチャーに魅了されていました。日々のニュースで浮かび上がる厳しい両国関係と、日本発のコンテンツに向けられる熱いまなざしとの間には温度差があったのです。また、経済成長が著しい中国社会のリアルな姿を、日本の若者が直接的に知る機会も、なかなかありませんでした。このような背景のもと、日本と中国の若者が直接対話し、互いに学びあう機会をつくることが、未来志向の両国関係を築く第一歩として求められていました。

新しい世界に憧れ、 つかんだ日本留学のチャンス

「日中21世紀交流事業」では、心と心をつなぐという意味の「心連心(xin lian xin)」を合言葉に、さまざまな活動が展開されています。主要事業である「中国高校生長期招へい事業」は、日本語を学ぶ中国の高校生が約1年間日本に滞在し、ホームステイや寮生活をしながら日本の高校に通うプログラム。このプログラムの第4期生として2009年に来日した1人が、劉思妤さんです。

2006年に第1期生として来日した中国の高校生たち。2019年度までに、14期にわたり総勢442名の高校生が来日しました。

劉さんが日本語を学び始めたのは2005年、中学1年生の時でした。多くの日系企業が中国に進出していた頃で、劉さんの実家のテレビも日本製になり、日本に強い関心を抱くようになりました。高校生になり、このプログラムに応募したのは「新しい世界への憧れがあったから」だと、劉さんは語ります。「私の世代は、今よりももっと外の世界の知識に飢えていて、だけど外国に留学できる人はまだ少数。本当に豊かな一握りの家庭に限られた特権でした。だから、選抜されれば公費で留学できるこの機会を逃すまいと、迷わずチャレンジしたんです」

劉さんは試験に見事合格し、35人の同期と一緒に来日。留学生は北海道から沖縄まで日本各地に分散しますが、劉さんが派遣されたのは富山県高岡市でした。「東京に憧れていたし、富山がどこにあるかもわからず、最初は不安で戸惑いました。でも、今から思えば、とても得難いチャンスでした。富山に住んでいたと言うと珍しがられるので、今も話の引き出しとして役に立っています」

富山弁の壁を乗り越えた先にあったもの

通った富山の高校では、外国人は劉さん1人。クラスメートには中国語はもちろん、英語で会話できる人もいないため、打ち解けるまでに時間がかかり、悩んだ時期もありました。「自分が努力して日本語で話しかけ、さらには流暢な富山弁を扱えるようになって初めて、壁を突破できました。みんなが話す富山弁を吸収し、覚えて次の日に使ってみる。するとポジティブに反応が返ってくるので、中国で日本語を勉強していた時よりも実践的で面白かった。そこからは楽しくなって、友達もできたし、茶道部に入って先輩後輩とも仲良くなれました」

日本の高校生にとっては他国から来た留学生の姿が刺激になり、また、幼い頃から学業に邁進してきた中国の高校生にとっては、部活や学校行事に打ち込み、遊びにも時間を割く日本の高校生は新鮮そのもの。目の前にいる同級生への素朴な興味や共感は、報道やインターネットで目にする互いの国のイメージをはるかに超えて、互いの心に刻まれました。劉さんはこう言います。「当時は高校生で、自分の世界観をまだ構築できていない時だからこそ、富山弁を含めた新しい文化を素直に受け入れられる自分がいました。もし大人になってからだったら、自分の世界観だけで、他の国を判断してしまうこともあったかもしれません。どんな文化にも、受け入れられる部分と受け入れ難い部分があると思うから、決めつけずに共存できたら、お互いにとっていいんじゃないかと思います」

日本で1年を過ごした高校生は中国へ帰り、それぞれの道を選択していきます。日本の大学への進学を目指す人、中国の大学に進学する人、アジアの他地域や欧米へ留学する人。劉さんは上海財経大学に進み、ビジネスと日本語を学びながら、JFが中国各地の大学等に開設している「ふれあいの場」を活性化するチーム「F活」にも参加。両国の大学生が協働で文化祭を企画・運営するプログラムで、劉さんもコスプレとメイクのブースを出して盛り上げました。卒業後は東京の大手広告代理店に就職するため再び来日。日系と外資系双方の企業と取引してグローバル戦略に携わるなど、学生時代の経験を糧に活躍しています。

中国18都市にある「ふれあいの場」では日本の最新情報を提供しているほか、日中の若者が交流する事業が行われています。写真は、2020年に成都ふれあいの場で開催されたイベントの様子。

写真左が劉さん。富山のホストファミリーとは10年来の交流が続き、家族の一員として頻繁に連絡を取り合う仲だそう。「8月のお盆には毎年富山に帰りますし、その家の子が東京の大学に進学したので、食事に連れていったりしています。東京暮らしは私の方が長いんですよ」(写真は、ホストファミリーの弟と妹との食事の様子)

新型コロナウイルスの流行により、2019年度を最後に長期招へい事業は休止中ですが、JFでは2020年度より「日中高校生対話・協働プログラム」と題し、オンラインでの交流を継続しています。日本と中国の若者たちが心を通わせ、互いを知り、理解しようとする。その小さな積み重ねが、日本と中国の友好の輪を広げ、両国の信頼関係を築く礎になることを願ってやみません。

この投稿をシェアする