2022.10.12
言語海外の日本語教師たちの第二の故郷、
日本語国際センターが提供する研修事業
日本語教育の振興にとって、海外で活躍する日本語教師たちが果たす役割は重要です。自らのキャリアを磨き続ける先生方を、国際交流基金の日本語国際センターが研修事業で支えます。
日本語を学ぶ機会を世界に広げるには、優れた日本語教師の存在が不可欠です。国際交流基金(JF)が2018年度に行った調査では、世界の日本語教師の数は約7.7万人。調査を開始した1979年の18.9倍となりました。ただ、教える技術の向上は常に必要とされます。JFでは1989年、埼玉県さいたま市に開設した日本語国際センター(NC)や、海外の拠点で、海外の日本語教師を対象としたさまざまな研修や支援を行っています。
専用施設と専任講師を備えたNCの開設以降、研修参加者はのべ1万人以上にのぼり、世界中で修了生たちが活躍しています。NCでは参加者を公募する長期・短期の訪日研修のほか、相手国政府・教育省等との連携により特定の国・地域を対象とした国別研修、他機関との共催で行う研修、オンライン研修などが実施されています。
公募研修には現在、若手教師を対象とし総合的にレベルアップを図る「基礎研修」、日本語力のさらなる向上を目指す「日本語研修」、2年以上の教授経験者を対象に、教える力の向上と異文化理解教育能力の養成を目指す「教授法総合研修」等があります。訪日研修の参加者は、NCに滞在して集中的に研修を受けます。研修中は、NCの教室で世界中の日本語教師と一緒に刺激を受けながら学べる授業のほか、地方視察研修や学校訪問、いけばなや書道・茶道などの文化体験の時間もあります。コロナ禍を受け、2020年度にはオンライン研修も始まりました。
NCで得たことは、学ぶ側の気持ち
では、実際に研修を受けた教師のみなさんの声を聞いてみましょう。まずはカンバラエヴァ・チョルポン先生です。勤務先は、カザフスタンの人材育成支援および日本・カザフスタン両国の相互理解促進を目的として2002年に開設された、カザフスタン日本人材開発センター(KJC)。先生はここで、2012年春に始まったJF日本語講座のマネージャーを務めています。
カザフ国立大学で日本語の勉強を始めた先生は、アルバイト先だったKJCに就職します。教材作成の手伝いをしながら日本語教師になる勉強を始め、教授法総合研修に参加するためNCへやってきたのは2011年5月。東日本大震災のわずか2か月後でした。「もちろん迷いました。家族も反対でした。でもせっかくのチャンスだし、と行ってみたら、自分の家族を心配するよりも他人の命を助けることを優先した被災者のことをニュースで見て、とても心を打たれました。どうしてそんな行動ができるのかを知りたくて、たくさんテレビのニュースを見ました。今では、いい時期に日本に行けたと思っています」
そのころ、外国語教育の国際標準を踏まえてJFが作成したのが「JF日本語教育スタンダード」です。これは日本語の教え方・学び方・学習成果の評価の仕方を考えるための枠組みであり、コースデザイン、授業設計、評価に役立てられています。「NCでの研修もこれに則り、毎日、自分の行った模擬授業を3段階で評価してコメントを書くよう言われました。これが帰国後に役に立ったのです。ちょうどKJCでも、JF日本語教育スタンダードに則ったプログラムを組む予定でした。NCでは学ぶ側だったので、なんで毎日こんなことをしなければならないのかと疑問に思っていたのですが、帰国して教える立場になって、その意義がやっとわかりました。学ぶ側に回った経験が、今とても活きています」
その後も、訪日研修には何度も参加。参加者同士で経験を共有し、学んだことを帰国後に教える側として実践しています。「日本語講座を運営する立場として、カリキュラムの作成やコースデザインの勉強もできたことが役に立っています。いずれは研修修了者のネットワークを作って、私たちの体験を後輩たちに伝えていきたいです」
キャリアパスを切り拓き、経験を積みながら訪日研修へ
次に、ドイツにおけるJFの拠点、ケルン日本文化会館で専任講師を務めるカタリーナ・ドゥツス先生にも話を聞きました。2007年、先生はNCで「日本語教育指導者養成プログラム(修士課程)」を受講しています。これは、各国の日本語教育界において指導的立場に立つ人材を養成するべくNCと政策研究大学院大学、国立国語研究所が連携し、2001年に始めた研修です。先生は、長いキャリアの中で多くの研修を経験してきました。
ただ、先生が専任の日本語教師になるまでには紆余曲折がありました。子供の頃、日本人の親友と交流する中で日本に興味を持ち、 大学では日本語を専攻、本格的に日本語を学び始め、大学院入学後に1年間、日本へ留学。卒業後は国際交流員として石川県の町役場で3年間、働きました。そこで日本人にドイツ語を教える機会をもち、言葉を教える楽しさに目覚めた先生は教師の道を考え始めます。「日本語は、言葉として面白いと感じました。ただ当時すでにドイツには日本語を教えるネイティブの先生がたくさんいたので、将来、日本語教師の職に就けるか不安でした。帰国後はノルトライン・ヴェストファーレン州立言語研究所で日本語教師の勉強を始めるかたわら、プライベートで日本語を教えていました。2005年に運よく、以前から図書館でアルバイトをしていたケルン日本文化会館の非常勤講師になれたのです」
そんな折、先生は日本語教育指導者養成プログラムのことを知り、2007年に参加します。「少人数で濃密な授業を受けられ、とても贅沢な時間でした。研修で一緒だったアジアの先生たちからは、就職を目的とした日本語学習へのニーズが高いこと、日本語教師としての職を得る機会も多いことを聞いて、うらやましかったです」
帰国後、先生は多い時は4つも非常勤の職をかけもちしながらキャリアを磨き、2011年、ついにケルン日本文化会館の専任講師となりました。「これからはケルンで日本語教師の育成に力を入れていきたいです。また、コロナ禍が落ち着いたら、日本文化体験コースや学校を訪問して日本語を教える活動を再開したいです」と、抱負を語ってくれました。
日本語教師のみなさんの、学びへのたゆまぬ情熱こそが、世界に日本語を広げていく原動力となっています。経験や知識の豊富な各国の教師も参加するNCでの研修は、研修生同士、また研修生と講師の学び合いの場でもあります。NCは海外で活躍する日本語教師の第二の故郷として、訪日される先生方を温かくお迎えします。
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