2022.10.12

文化

『俊寛』『アンティゴネ』『桜の園』、
言葉の壁を超えて広がる感動の輪

Park Ave. Armory

写真は、「Japan 2019」公式企画としてニューヨークで行われた『アンティゴネ』の上演風景。Photo: Stephanie Berger

伝統芸能から現代演劇まで、日本の優れた舞台芸術の紹介を通じ、国際交流基金は海外の観客と感動を共有してきました。歴史的な公演が実現するまでには、関係者の不断の努力や熱意があったのです。

眼前の舞台で生身の肉体が躍動する舞台芸術は、言葉を超えた感動を多くの人に伝える、文化交流の原点ともいえる分野です。国際交流基金(JF)はこれまで日本の幅広い舞台芸術を海外に紹介してきました。JF設立翌年の1973年には、まだ十分にインフラの整わない中、東南アジア3か国で宝塚歌劇団の公演を実現。1979年には、前年に締結された日中平和友好条約を記念して、中国で初となる大歌舞伎公演を主催し、北京市民から大歓迎を受けたことは今でも語り草となっています。1989年にはアフリカ6か国を和太鼓奏者の林英哲とジャズピアニストの山下洋輔のグループが駆け巡り、2004年には日米交流150周年を記念して宮本亜門演出ミュージカル『太平洋序曲』の実現に協力。日本人が初めてブロードウェイ上演作品を演出した、歴史的な出来事でした。

1979年、JFは、中国で初となる大歌舞伎公演を主催しました。総勢70名超の公演団員たちは、高級車やマイクロバスなど約20台に分乗し、パトカーに先導された長い車列は、北京市民の大歓迎を受けました。

選りすぐりの演目を最高の演者で届けたいとの思いから、JFが主催する海外公演では、さまざまな制約をバネにして、ときに日本では成立し得ないような芸術的融合・斬新な演出が実現しました。1994年にヨーロッパの4都市で行われた能・文楽・歌舞伎の共演による舞台『俊寛』はその好例です。

日本では考えられないような企画が実現

背景にあったのは、冷戦の終結と、日本とオーストリアの修好125周年という節目です。それまで日本文化を紹介する機会の少なかった東欧諸国との関係を深めたいというJFの想いと、節目の年にウィーン芸術週間が行う日本特集のタイミングが合致。「三大伝統演劇欧州公演」と銘打ち、ウィーンを皮切りにワルシャワ、プラハ、ロンドンで公演を行い、来場者は合計で1万人を超えました。

ただ、実現には多くの壁がありました。まず、能・歌舞伎・文楽の共演ということが、前代未聞の挑戦でした。しかし、伝統芸能の担い手には、今を生きる表現者として、新しいことへの挑戦の気概が息づいています。すべての困難を乗り越えられたのは、制作スタッフ・出演者たちの「せっかくの機会なのだから最高のものを見せよう」「とにかくやってみよう」という熱意と努力の賜物でした。総合監修に古典演劇研究者の河竹登志夫氏を、演出に観世栄夫氏という偉才を迎えられたこと、3つの芸能を振興する立場の日本芸術文化振興会が最初の提案者となったことも大きな推進力となりました。

次に、欧州と日本の舞台構造の違いも、装置の制作や演出の上で難問となりました。また当時、JFの拠点は公演地4都市のうちロンドンにしかなく、渡航手配から劇場の確保、現地での舞台装置の製作まで、特別体制を組んで国内外の調整に当たることとなりました。しかし、結果としてこれらの経験は、JFにとって大きな財産となったのです。

『俊寛』は、故郷への想い、別れがもたらす悲しさ、恋しい人を想う気持ちなど、人間ドラマとして時代を超えた普遍性をもつ作品です。そこに能・文楽・歌舞伎それぞれの圧倒的な表現力が加わり、日本人らしい感性、繊細な心持ちが各国の観客にも確かに伝わったようでした。カーテンコールは毎回8回以上あり、拍手が鳴りやみませんでした。

ウィーン公演を鑑賞したボン大学日本文化研究所のペーター・パンツァー所長(当時)は、JF発行の『国際交流』誌への寄稿で、劇場で隣の席に座った電気技師の若者が仕事場から直行してきたらしいこと、日本演劇に関するシンポジウムを聞き、芸術家たちの話に興味を抱いたこと、そしてもっと日本を知りたいと思っていると語ったことに「心を打たれる思いがした」と述べています。そして寄稿を「俊寛の苦悩は報われた」と結んだのでした。

『俊寛』のウィーン公演

『俊寛』のウィーン公演でのカーテンコール。ロンドンの「デイリー・テレグラフ」紙は、公演の最後に、能と歌舞伎と文楽の演者が演じる3人の俊寛が同時に舞台に登場する場面について、「この瞬間、われわれは、これら3つの古典的な演劇形式にまったく異なった力があることを知るだけではなく、同じ状況に対する3つの異なる洞察を同時に与えられた。このステージに到達するまでに600年かかったが、待つ値打ちはあった」と評しました。

 演劇において普遍的なものを作りたいという想い

『俊寛』の興奮から四半世紀後の2019年、ニューヨークの観客を熱狂させたのが、気鋭の演出家・宮城聰氏によるギリシャ悲劇『アンティゴネ』です。アメリカでの日本フェスティバル「Japan 2019」の公式企画の1つとしてJFが主催し、宮城氏が芸術総監督を務めるSPAC(静岡県舞台芸術センター)を率いての公演でした。

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宮城聰氏は2007年にSPAC(静岡県舞台芸術センター)芸術総監督に就任。『アンティゴネ』は2017年のアヴィニョン演劇祭のオープニング作品に選ばれています。Photo:©Ryota Atarashi

本公演が実現したきっかけは2017年、JFが助成し、宮城氏が演出したSPACの『アンティゴネ』が、フランスのアヴィニョン演劇祭の開幕作品に選出されたことです。アジア圏の劇団がオープニングを飾るのは、同演劇祭の70年を超える歴史上初めてのことでした。同演劇祭を、「Japan 2019」での会場となったニューヨークのパーク・アベニュー・アーモリーの芸術監督、ピエール・オーディ氏が観たことで結ばれた縁でした。

『アンティゴネ』の演出について、宮城氏はこう語ります。「アヴィニョンでの会場は、法王庁の中庭でした。当時のヨーロッパの権力の頂点である法王庁には、輝かしい歴史があるのと同時に、満足できない死を迎えた、光があたらない無数の人々の魂が同居しています。浮かばれない魂をねんごろに弔うことが『アンティゴネ』の重要なテーマ。法王庁に存在する無数の魂に、安らぎを与えられればと考えました。一方で、パーク・アベニュー・アーモリーも元は南北戦争を北軍として戦った連隊の軍事施設だと知った時は、不思議な巡り合わせだと思いました。ここも、栄光の下に死者が集まる場所だったのです。フランスからアメリカへとご縁をつないでいただいた国際交流基金には、本当に感謝しています」

「死ねばみな仏」という日本の死生観と「死ねばみな同じ」という『アンティゴネ』の台詞に相通ずるものを感じたと、宮城氏は話します。三途の川を想起させる水や照明の作り出す影など、舞台上のすべてが観客の心に響いた結果、ニューヨーク公演は2日目にチケットが完売。ニューヨークで日本の演劇作品が1万人以上の観客を動員したのは史上初めてのことで、『タイム』誌は本公演を「2019年の演劇ベスト10」の1つに選出しました。

文化の違いを超えた大きな感動を共有する場として、舞台芸術が国際交流に果たす役割とは何でしょうか。宮城氏はこう述べます。「演劇は母語に縛られ、肉体に縛られ、育った土地の気候風土に縛られる、最も地縛的な表現形態であり、最も普遍的になりにくい分野とも言えます。それでも私は、そこに普遍的なものを創りたいのです。なぜなら、人間の笑い方は、みんな同じはずです。ならば、人間が共感しあえる可能性はあるはずなのです」

Park Ave. Armory

「Japan 2019」での『アンティゴネ』公演の模様。会期中にはニューヨークの公立学校の生徒を招待する教育公演日もあり、舞台に引き込まれた生徒たちが大きな拍手を送っていました。Photo:Stephanie Berger

舞台芸術を通じた国際交流の可能性を探る場として、国際共同制作があります。宮城氏率いるSPAC2021年、JFが導入した舞台芸術国際共同制作事業の一環として、フランス人演出家のダニエル・ジャンヌトー氏と共に、静岡芸術劇場でチェーホフの『桜の園』を上演しました。コロナ禍によって減少したアーティスト同士の議論や接触の機会を維持すると同時に、舞台芸術が持つ新たな可能性を拡げることを目的として始まったプログラムで、創造の過程を可視化するための、オブザーバー制度を導入しているのも特徴です。オブザーバーが第三者の立場から共同制作の現場を記録してまとめた報告書は、JFのウェブサイトで公開されています。

『桜の園』はSPACと深い縁を築いているフランス国立演劇センター・ジュヌヴィリエ劇場との共同制作で、コロナ禍によるさまざまな制約下、公演に漕ぎつけました。来日後2週間の隔離を経てまでもジャンヌトー氏をはじめフランス側のスタッフを招へいしたのは、文化交流の回路を閉ざしてはならないというJFSPACの想いの表れです。ジャンヌトー氏も想いは同じでした。「国際交流基金やSPACの支えによりこの国際共同制作が実現したのは、ひとつの勝利であり、希望を与えるものだと感じています。どのような状況下でもクリエーションを行うこと、そして国や民族を超えた交流をあきらめてはいけないと信じています」と、開幕に寄せてコメントを出しています。

静岡芸術劇場で上演されたSPAC秋→春のシーズン2021-2022

2021年、舞台芸術国際共同制作プログラムに採択され、静岡芸術劇場で上演されたSPAC秋→春のシーズン2021-2022 #2『桜の園』。©三浦興一

『俊寛』『アンティゴネ』『桜の園』のいずれも、出演者、また制作者の間に深い信頼関係が結ばれたことで、後々まで語り継がれるような舞台が成立しました。また、すべて古典的な作品でありながら、物語の持つ普遍性が、国や時代を超えて、現代人の心に強く訴えかけた点も共通しています。観客と演者が時間と空間を共有する、その一期一会の奇跡こそが舞台芸術の醍醐味です。感動を生むアーティストたちの素晴らしい才能をつなぐ結節点として、JFは今後も舞台芸術公演の灯を掲げ続けます。

 

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