2023.02.03

文化

異文化を理解しようとする過程を経て、
「芸術」が生まれる国際共同制作の舞台

国際共同制作の舞台『リア』(1997年9月、東京・Bunkamuraシアターコクーン)の公演風景。撮影:谷古宇正彦

国際交流基金は日本の舞台芸術の海外公演、海外作品の招へい公演のほか国際共同制作も数多く手がけてきました。すべてに共通するのは異文化理解の促進と舞台人同士の信頼関係の構築です。

舞台芸術の国際共同制作は、国際交流基金(JF)の文化事業の中でも双方向の「交流」が強く実感できる場です。ひとつの作品を創り上げる過程で起こる葛藤や共感が、異文化への理解を深め、アーティスト同士の信頼関係を生み出します。

2010年代以降、グローバル化を背景に、現代演劇でも多様な国際共同制作が行われるようになりました。中でも2018年、タイで世界初演を迎えた『プラータナー:憑依のポートレート』(以下、『プラータナー』)は大きな話題を呼んだ作品です。2014年に設立されたJFのアジアセンターが中心となって企画され、脚本と演出を劇団「チェルフィッチュ」主宰の岡田利規が担当。岡田の戯曲ではなく、タイ現代文学を代表する作家ウティット・ヘーマムーンの半自伝的長編小説を翻案・舞台化しました。すでに自身の戯曲の海外公演で成功を収めていた岡田ですが、『プラータナー』では「継続的な互いの交流と作品の発展を同時におこなうプロセスにする」ことを重視、数年をかけて作者との対話や現地調査を重ね、日タイの関係者が密接に関わるプロジェクトとなっていきました。本作は、「ジャポニスム2018」でのパリ公演、「響きあうアジア2019」での日本公演が実現し、日本とタイの主要な演劇賞を受賞しています。

2018年にパリのポンピドゥ・センターで行われた『プラータナー:憑依の記憶』の公演。4時間に及ぶ大作に、パリの観客も熱心に見入っていました。Photo:Takuya Matsumi

アジアの中の日本を見つめるきっかけとなった「ATPA」

『プラータナー』について、演劇研究者で学習院女子大学の内野儀教授が「国際交流基金がこれまで長年にわたってコミットしてきた、舞台芸術におけるアジアとの国際共同制作の多様なプロジェクトの蓄積の延長線上に、本作品が出現した」と評するように、本作の誕生に至るまでには、JFが長年にわたり取り組んだ、アジアとのさまざまな交流事業の歴史があります。

文化を通じた世界への貢献を設立目的のひとつに掲げるJFは、草創期から、日本文化を海外に紹介するだけでなく、外国文化の日本への紹介にも力を入れてきました。1974年に企画開始、1987年にかけて行われた「アジア伝統芸能の交流」(Asian Traditional Performing Arts、略称ATPA)は、初期の代表例です。当時は日本が経済大国となり、国際的な役割の高まりとともに、文化面での国際貢献やアジアとの関係強化の重要性が認識された時代でした。ATPAは、アジアとの相互理解を目的に、それまで日本で触れる機会の少なかったアジアの伝統芸能を体系的に紹介するものとして構想され、調査、セミナー・公演、記録刊行に各1年、計3年を1サイクルとした長期プロジェクトでした。

5回の実施でATPAが取り上げたテーマは「楽器」「うた」「仮面劇」「放浪芸」「愛と祈りの芸能」。実演家だけでなく、専門家・研究者が加わり、セミナーやシンポジウムなども行う学術交流の側面も持ちあわせるものでした。芸能や演奏家の選定では、「フェスティバル」的なものにせず、有名・無名を問わずアジアの多様な伝統芸能を紹介することに重きを置き、韓国、中国、モンゴル、東南アジアからインド、パキスタン、イラン、トルコまで、各地の伝統音楽や伝統舞踊などが幅広く対象となりました。

第1回の楽器をテーマとした「日本音楽の源流を訪ねて」でインドネシアから参加したのは、まだ日本でほとんど知られていなかったスンダ地方の音楽。また、「マレーシアの場合でも、あのサペー(琵琶のような形の楽器)を抱いてきた人たちはジャングルを三日もかかって出てきたんですが、ジャングルの中に誰にも知られることがなく、あんなすばらしい音楽があるという事実を私たちは知ったわけです」と、監修を務めた小泉文夫・東京藝術大学教授(当時)はJFの機関誌『国際交流』に書き残しています。一方で、JFの担当者たちは当時を振り返り、「(韓国の芸能に焦点を当てた第4回では)日本と似て非なる爆発的なエネルギーを持つものを紹介したい、それも東京だけでなく、日本全国各地の幅広い人々に届けたいと思った」「回を追うごとに公演の規模は広がり、5回目頃にはアジアブームが起こっており、公演の大きな反響から手ごたえが感じられた」と述べています。

1978年開催の第2回ATPA「アジアのうた」より、バングラデシュとインドの西ベンガル地方の農村に住む神秘主義的な芸能集団「バウル」の人々によって歌われる音楽の公演風景。写真:関口淳吉

ATPAが残した足跡は日本国内にとどまらず、世界各地の大学図書館に報告書が収蔵され、映像がアメリカのスミソニアン協会の研究施設にも保存されるなど、アジアの伝統芸能を後世に伝える、貴重な財産となっています。ATPAは日本社会がアジア文化の多様な魅力に目を向けるひとつのきっかけを作り、異なる芸能の実演家、研究者間の交流という成果を残し、1987年に区切りを迎えました。

1990年代に入ると日本とアジアとのいっそうの関係強化の必要性が認識され、JFでは1990年設立のアセアン文化センター、1995年に改組されたアジアセンターを中心に、アジアとの文化関係の拡大・深化を目指した、自主企画・制作による双方向の交流事業が多彩に展開されていきました。ATPAの経験を積んだJFが、現代演劇の分野で目指したのが、国際共同制作でした。紹介しあうだけでなく、共に新しい作品を作り上げることによって「アジア演劇」の現在を見つめ直し、新たな可能性を探るものとして、国際共同制作作品『リア』の構想が立ち上がりました。

『リア』は1995年に始動し、1997年9月、東京・Bunkamuraシアターコクーンで世界初演ののち、大阪と福岡でも上演。高い評価を得て、1999年には香港、東南アジア、豪州でも公演。ベルリン、コペンハーゲンの演劇祭にも招へいされました。

『リア』がもたらしたインパクト

『リア』で演出に起用されたのが、当時、気鋭の若手演出家であったシンガポールのオン・ケンセン氏です。出演者はインドネシア、シンガポール、タイ、中国、日本、マレーシアの6か国から、現代演劇、伝統演劇(能、京劇)、現代舞踊、現代音楽、伝統音楽(ガムラン、琵琶)と多彩なジャンルのアーティストが選ばれ、創作スタッフもいろいろな国から参加するという一大プロジェクトでした。シェイクスピアの『リア王』を下敷きに劇作家の岸田理生が戯曲を書き下ろし、リア役に能の梅若楢彦、長女役に京劇の江其虎が起用されました。当時JFで本作のプロデューサーを務めた畠由紀氏は「文化も方法論も異なるアーティストが同等の立場でひとつのものを作ることにこそ、国際共同制作の意味があると思いました。オン氏と協議し、制作、出演者の誰からも等間隔であるために、アジアの特定の国の作品ではなく、選んだのがシェイクスピアであり、父と娘の構図を借りて旧いものと新しいものの葛藤と交代、ひいては新しい演劇語法の追求を目指して選んだのが『リア王』です」と語ります。

オン氏が最初にこのプロジェクトについて畠氏と話し合ったのは、1995年、ニューヨーク大学大学院でパフォーマンス研究の修士号を取得し、シンガポールに帰国した頃でした。オン氏はこう当時を振り返ります。「アイデアを聞いてすぐに、JFが何か新しいことをやろうとしている、そこで私の経験が役立てられる、と思いました。当時の私の関心事は、西洋的な演劇方法論を相対化し、感情や状況をどうアジア的に表現するかということでした。それは、扮装や身振り手振りを表面的に再現することではなく、アジア各地の習慣や伝統に根ざす芸能として身体に刻まれたさまざまな表現を、アジア人アーティストによるひとつの舞台作品にいかに具現化するか、という課題です。たとえば、作品に出てくる殺人の場面の表現を考えていた時、タイでは、結髪の根元を切ることが赤ちゃんのへその緒を切るイメージにつながる、というのがヒントになりました。多様な背景をもつ出演者・スタッフが新しいアジアの舞台を共に創るにあたり、アジア各地で継承されてきた表現を異なる文化や異なる世代にいかに伝えるか、そのプロセスについて深く考えました」

『リア』の東京でのリハーサルの模様。共同制作は簡単ではなかったとオン氏は語ります。「それぞれ期待するものも違い、芸能によって稽古の仕方もかける時間も違ったので、稽古が始まるといろいろな困難がありました」撮影:細野晋司

言葉も背景も異なる演劇人が集まる国際共同制作の場は、文化や考え方の違いが表出する場でもあります。オン氏はその違いに直面した時、「これが私の文化で、私という人間だ」という点について、各々が突きつけあうことを重視しました。「『リア』は情報提供の場ではなく、知識を提供しあう場でした。ここでいう知識とは、自身の身体や経験に基づくものであって、芸術家のある種の視座が含まれるものです。今はデジタルの時代で、舞台芸術の世界でもネットワーキングが流行ですが、ネットワーキングとアートメイキング(芸術創造)は違います。アートメイキングは知識をもって互いに交渉し、苦労して一緒に作り上げるところから始まるのです。『リア』ではこのプロセスを大事にし、その結果、思いがけずアート(芸術)が出現したのです。芸術とは他者と自分自身を知ろうとする闘いであり、最終的に何かを一緒に作り上げる闘いでもある。それが一般的な文化交流にはない部分です」

「極端に異なるバックグラウンドを持つ個の集合体である私たちは、自らをかつて経験したことがないほどオープンにして他者と対峙せざるを得なかった」と畠氏が『国際交流』誌に書いたとおり、このプロジェクトは出演者にとっても大きな挑戦でした。自己の芸能と表現間の試行錯誤が続き、厳しい場面に陥ることもあったと言います。しかし、長女を演じた江其虎氏が「『リア』に参加したことは、その後の私の芸術家としてのあゆみに多大な影響を与えました」と述懐するように、出演者にも深い経験をもたらすものとなりました。

オン・ケンセン(Ong Keng Sen)氏。国際的に活躍するシンガポール人演出家であり、劇団シアターワークスの芸術監督を務める。シンガポール国際芸術祭の初代芸術監督。ニューヨーク大学芸術大学院にて博士号取得。福岡アジア文化賞をはじめ受賞歴多数。Photo by Jeannie Ho

オン氏はかつて「『共同制作は高尚で贅沢なものだ』と言われますが、私は逆に必需品であると感じています。(中略)民族間の深い問題を解決するためには、こうした多文化共生の試みに着手しなければいけないのです。ですから私の作品には、単に美的な感性に訴えるだけでなく、文化と文化の橋渡しをするという姿勢が常に貫かれていると思っています」と、JF発行の『アジアセンターニュース』誌上で述べています。『リア』は、今日もシェイクスピアの『リア王』に関する論文の中でしばしば言及される歴史的作品となり、国際共同制作のひとつの到達点でもあります。JFの国際共同制作のあゆみはこれからも続きます。

 

【関連記事リンク】
『俊寛』『アンティゴネ』『桜の園』、言葉の壁を超えて広がる感動の輪
日本の優れた舞台芸術を、オンラインで世界の隅々に配信

この投稿をシェアする